September 02, 2011

AK、3月11日東日本大震災から半年 AKの体験した宮城県、福島県

どこから話したらいいのか、、、。3月11日の東日本大震災から半年。
NYという離れた場所にいて、日本支援のJP GIRLS NYCを立ち上げ、
日本支援イベントをいくつかしてきた私にとって、震災後初の帰国。
7月24日のBody & Soul Live in Tokyoの後、
8月に2週間かけて訪れた被災地、宮城県と福島県。

自分にできることとして、
保育園や児童館など、被災したエリアにいる子供達に歌と楽器を届けること、
そして、情報がほとんど入ってこないNYにいて、
今後NYでどんな支援ができるのかを知るためにも、
6ヶ月近い被災地の現在の状況を把握することと、
被災者の声がなかなか聞けないことから、
直接、お話を聞いて、なにをするべきか把握する事が、
私の今回の被災地を訪れた目的でした。

だけど、現実を目の前に、半年近く経っているにも関わらず、
壊滅的なエリアを目の前に、言葉を失うばかり。
あまりにも、いまだにひどすぎる、その変わり果てた日本。
その景色は、私の知らない日本でした。

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宮城県で主に訪れた場所は仙台市、亘理郡亘理町(わたりちょう)、
名取市閖上(ゆりあげ)、南三陸町志津川、
福島県は、福島市、相馬市、新地、南相馬市、郡山。

どの場所も、地震と津波の爪痕が今もしっかり残っていて、
その範囲はあまりにも広く、
気が遠くなるような、がれき山。
半年後の姿とは思えない、その撤去の作業はいつまで続くのかわからないほど。
海岸近くにある、あれは山?と思ったものは、すべて10メートル以上のがれきの山。
その山の上で何台ものショベルカーが、猛暑の中で、ものすごいほこりをあげながら、
休む事なく動いている姿が脳裏から今も離れません。
見渡す限り、トラックと、がれきの山のみ。破壊された爪痕のみ。

それは人間の住む世界とはまったく別の世界。
だけど、かつてはそこに人がいて、 家があり、家族があり、仲間がいて、
村があり、街があり、生活があり、笑顔があり、毎日があった場所。
そのすべてがまったくなくなっていました。
跡形もなく。

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もしも私の実家がここだったら、、
、 生まれ育った場所、家族、友達、街、人生すべての想い出、その全てを失ってしまったら?
そう思うと、涙があふれて、、、。

それでも、この写真の場所は、
トラックのいる場所はまだ人が入り、作業が行われている場所なのです。
半年近く経って、今も尚、まったく手がつけられてない、
なにも作業が行われていない場所はたくさんあります。
海岸沿いの山あいにある、小さな村々、、、。
全壊に近いまま放置されたままの家々、、、。
忘れられてる場所、、、。
どうして、ここには誰も来てないの?その質問に、
産業がないから、という返事。
産業のない場所は、半年経った今も、後回しとされ、取り残されたままです、、、。

だけど、こんなお話を聞きました。
漁師の方です。
“海は恨んでいない、海から今まで全部をもらったから、全部を海に返しただけ”。
そして漁師の方のたくさんの方が、元の場所に帰ることを望まれています。

たくさんの方とお話しました。
そしてたくさんの方が同じ事を望まれています。
“よりそってもらえたら、、、”
心からその人によりそう、、、。
とてもデリケートな言葉です。
そして、“忘れないでほしい”の言葉。

60代の女性が、家族を亡くし、実家をなくし、街をなくし、すべてをなくし、
新しい街仙台市に、アパートを借りて一人暮らしを始められました。
考えてみてください。
もしも自分が60代で、家族も、なにもかもなくし、その悲しみが癒えないまま、
新しい街でたったひとりで、完全に新しい環境で生活をスタートしなければいけないこと、、、。
これから20年以上、残された人生がどんな人生になるのか。

ご家族が今も行方不明で、毎日、安置所に通う方々。
お墓ごと流されて、その流された場所で祈る方々。
仮設住宅はプレハブで、冬はすきま風が相当厳しいことが予想される方々。
8月いっぱいで閉鎖された避難所、新しいステージに入り、
自立を余儀なくされている方々。
自分の家のあった場所が、まったくなくなり、さらに今も危険区域のため、
自分の土地でありながら、今後どうするかを決める権利がない方々。
ひとりひとり、様々な困難の中、6ヶ月を迎えられています。
そして、この土地で育ってゆく子供達、、、。

福島県。
さらに問題は過酷です。
福島県の子供達。
そしてお母さんたち。
福島県からお母さんと子供達だけが県外に移られる方がたくさんいます。
お父さんだけが福島に残り、家族を養うための仕事を続けるという、
ばらばらになってしまった家族は増え続けています。

学校という学校の校庭は掘り起こされ、シャベルカーが常在するという、悲しい景色。
福島でたくさん見たひまわり。
せつなかった。

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そんなショッキングな光景と向き合う毎日の中で、
保育園と児童館で、5つのコンサートをしました。
津波で楽器だけでなく、児童館ごと流された子供達もいます。
両親をなくした子供達もいます。
あれだけの地震と津波で恐い思いをした子供達なのに、
満面の笑顔と歓声で迎えられ、私が元気をあげるために行ったはずなのに、
子供達からたくさんのエネルギーと、愛と幸せを毎日もらいました。
Say That You Love Meは全員ジャンピング!笑
ダンスしまくり!
子供達の声と一緒に願いをこめて歌った、 たなばた。
“今度いつ会える?”って小さな手を繋がれて言われ、
“またすぐ来るよ!”って。
帰りは全員の歓声に包まれてお見送り、、、
“バイバイー、気をつけてね、また来てね”。子供達の声が今もこだましています。
そして、もうすでに恋しい、、、。

地震、津波で、壊滅的な風景を毎日見ながら生活する子供達。
そこに原発の問題が上乗せされ、外でまったく遊べない毎日。
食べる物への不安、水への不安、空気への不安、そして今も続く余震。
たなばたの歌を一緒に歌い、子供達に、みんなの願い事はなに?って聞いたら、
“地震がもうこないでほしい”って。
福島のことを思うとき、自分の心の中が葛藤します。
割り切れない様々な事情に、、、。
だけど、子供を守るのは大人。私たち。
予想できない、確定できない危険だからこそ、
後で後悔のない決断をしなければいけない、、、。
そして、日本が抱える、根本的な問題に、
今すべての大人が子供の未来を守るために向き合う必要があると私も思っています。
そのために、この現実をできる限り伝え続けて、
日本の明日のために、みんなで知恵を出し合えたら、、、。

まだまだ書ききれない想いと、説明できない状況、匂い、ほこりだらけの空気を、
もどかしい気持ちのまま、抱えています。
被災地で生きてゆく人達、、、。
その人達と、よりそう、、、。

私にできることはなんだろう。
答えはずっと探し続けることでしょう。
できることを、出来る範囲で、続けていく。

10月に予定となった、NYでの日本支援トークイベントに向け、
これから膨大な写真と映像の整理を始めますが、
もう一度向き合う事に、気合いがいりそうです。
でも、現地で出会った方々、お話を聞かせてくださった方々、
ご縁ができた方々のことを思うと、
自分のできることは小さくとも、まだまだあると感じています。

子供達からもらった笑顔を心に、
NYからこれからもできることを続けていきたいと思います。

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Love, AK

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2011 09 02 [日記・コラム・つぶやき, 音楽] | 固定リンク

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